「猫ひっかき病」というちょっと変わった名前の病気があります。この病気はその名のとおり、私たちヒトが猫にひっかかれたり咬まれたりすることでかかります。原因となる病原体はバルトネラ・ヘンセレ(Bartonella henselae)という細菌の一種で、もともと猫を自然宿主としています。猫は保菌していても無症状ですが、ヒトに感染すると病気を起こします。なぜ、猫は病気にならないのにヒトは病気になるのでしょうか?これには細菌側の要因(体内に定着・増殖する能力や病原性因子の産生など)と宿主側の要因(生理機能の違いや免疫など)が複雑に絡み合っており、この「宿主特異性」の理由を明らかにすることは容易ではありません。私たちはこの謎に少しでも迫りたいと考えており、バルトネラが引き起こす「血管が増える現象」(= 血管新生)に特に着目しています。ヒトに感染して血管新生(既存の血管から新たな血管が枝のように伸びていく現象)を起こすという性質は、猫ひっかき病の原因となるバルトネラ・ヘンセレを含めてバルトネラ属のいくつかの菌種に共通してみられます。しかし、他の属の細菌にはこのような性質はありません。血管新生が起こるときには、血管の内腔を覆う血管内皮細胞という細胞も増えていきます。血管内皮細胞はバルトネラにとって宿主の免疫から逃れるための隠れ家となっており、この細胞の中でバルトネラは盛んに分裂を繰り返して増殖していきます。すなわち、バルトネラは住み処となる血管内皮細胞を自らの手で増やし、宿主内での生存に有利な環境をつくりだすという巧みな感染戦略をとる細菌といえます。
血管内皮細胞(細胞質:緑、核:青)の中に感染するバルトネラ・ヘンセレ(赤)。
バルトネラ・ヘンセレによる血管内皮細胞の増殖促進。
ヒト臍帯静脈内皮細胞に本菌を感染させると(右)、非感染細胞(左)よりも細胞の数が増加する。
バルトネラ・ヘンセレが血管新生を引き起こす仕組みについては、いくつかの因子の関与が他の研究グループによってすでに明らかにされていました。一方、これら既知の因子の他に、血管内皮細胞の増殖を直接促すような物質を菌が分泌していることが示唆されていましたが、その正体は長年つかめていませんでした。私たちは、この物質の正体が菌の産生するタンパク質の一種だということをつきとめ、Bartonella angiogenic factor (バルトネラ血管新生因子)の頭文字をとって「BafA」と命名しました (Nature Communications, 2020) 。BafAの本態はオートトランスポーターと呼ばれるグラム陰性細菌がもつ分泌装置であり、N末端領域の一部が菌体外に分泌されます。分泌されたBafAタンパク質は、血管内皮細胞の表面に存在する血管内皮増殖因子(VEGF)の受容体であるVEGFR2に作用します。その結果、VEGFR2の下流にあるMEK-ERK経路というシグナル伝達経路が活性化されて細胞増殖が促進されます。
菌から分泌されたBafAは血管内皮細胞表面に存在するVEGF(血管内皮増殖因子)の受容体に作用し、細胞増殖シグナルを活性化させる。
また、BafAは細胞増殖だけでなく血管新生を起こすこともマウスを用いた実験で証明しました。このような細菌がつくる血管新生因子は他に報告がなく、BafAは細菌に由来するものとしては世界で初めて発見された血管新生因子といえます。
BafA存在下でマウス大動脈片を培養すると、微小血管の発芽・伸張がみられる。
当初、私たちは猫ひっかき病の原因菌であるバルトネラ・ヘンセレからBafAを発見しましたが、その後、他の菌種についても解析を進めた結果、ヒトに血管腫を引き起こすバルトネラは共通してBafAタンパク質を産生することがわかりました。
このように、私たちの研究によってこれまで長年実体がつかめていなかったバルトネラ属細菌由来の血管新生因子が特定され、その作用機序についても明らかになってきました。こうした成果は、バルトネラ感染症で血管増殖性病変ができる仕組みや、バルトネラの宿主特異性を理解するための重要な知見だと考えています。また、この新たな血管新生因子BafAを創薬に応用することも視野にいれながら、基礎から応用まで広範囲にわたる研究を現在進めています。